「またやるの?」
マテリアリティ特定に対して、そんな一言が会議室に漂うとき、そこには二つの疲れが重なっているのかもしれません。
一度は丁寧に議論し、ステークホルダーにも説明してきた現場の消耗感。
そして、「まだ経営や実務に十分つながっていないのではないか」という経営層の物足りなさ。
このズレが、マテリアリティの「やり直し論」を繰り返し生み出しているように見えます。
ただ、問題は必ずしも「特定が間違っていたかどうか」だけではないかもしれません。フレームワーク上は整合している。外部への説明としても成立している。それでも、社内ではなかなか動き出さない。
その背景には、せっかく特定したマテリアリティが、実務の言語に十分変換されていない、という課題がありそうです。
なぜ「正しいのに動かない」マテリアリティが生まれるのか
多くの企業で見られるのは、こうした状態です。
テーマも優先順位もある程度整理されていて、開示資料として対外説明も成立しているー
それでも、社内の具体的な動きにはつながりにくい。
なぜそうなるのでしょうか。
一つの理由は、マテリアリティが「説明のための構造」にはなっていても、「実行のための構造」にはまだなりきっていないことにあります。
これは、担当者の力量や会社の意識だけの問題ではありません。
マテリアリティの整理は、構造上、抽象度が高くなりやすいものです。GRIやSASBといった開示フレームワークは、ステークホルダーへの説明に適した形で整理される一方、横断的なテーマとして扱われることが多くなります。
たとえば、「気候変動対応」「人的資本の強化」「サプライチェーンの責任」。
これらは重要なテーマですが、この粒度のまま現場に持っていくと、「うちの部門は何をすればいいのか」が見えにくくなることがあります。
責任の所在が曖昧なままでは、マテリアリティは会議資料や開示資料の中では存在していても、日々の意思決定には入り込みにくくなります。
この「抽象度の高さ」は、KPI設計にも影響します。
測る対象そのものが曖昧なままでは、どの指標を置くべきかも判断しづらくなります。結果として、「開示しやすい指標を置く」「既存データで代替する」といった対応になりやすい。
もちろん、それ自体が間違いというわけではありません。
ただ、その状態で止まってしまうと、マテリアリティは実行の起点というより、開示上の整理に近づいてしまう可能性があります。
「やり直し」ではなく「翻訳」という発想

では、どうすればよいのでしょうか。
一つの現実的なアプローチが、「翻訳」という考え方です。
ここでいう翻訳とは、マテリアリティを白紙に戻すことではありません。
すでにあるマテリアリティを、業務や組織、データの単位に分けて見直し、「誰が」「何を」「どの単位で」動く話なのかを、実務レベルまで接続していく作業です。
翻訳は、感覚的な言い換えではなく、整理の型として扱うことができます。
たとえば、次のような問いから始めることができます。
まず、動きの単位に分けること。
そのテーマは実際には、どのようなアクションや状態変化として現れるのか。
次に、影響の経路で分解すること。
どこに介入すれば、どのような変化が生まれるのか。
そして、意思決定の単位に落とすこと。
誰が、どのレベルで判断できる話なのか。
たとえば、「人的資本の強化」というテーマがあるとします。
このまま施策を考えようとすると、範囲が広すぎて、議論が抽象的になりがちです。
しかし、「採用・育成・配置・評価・離職」といった動きの単位に分けると、見え方が変わります。
いまどの領域に課題があるのか。どの変化を測れば、前進していると言えるのか。どの部門が関与すべきなのか。
そうした問いが立てられるようになると、KPIや施策との接続も考えやすくなります。
同じテーマでも、問い方を変えるだけで、動き出しやすさは大きく変わるのです。
翻訳が変えるものと、よくある誤解
翻訳を経ることで、マテリアリティの性格は少しずつ変わっていきます。
「説明の枠組み」だったものが、「意思決定の土台」として使われ始める可能性が出てきます。
たとえば、会議で「誰がやるのか」が決まりやすくなる。
KPIレビューが単なる数値確認ではなく、次の判断につながりやすくなる。
投資やリソース配分の議論に、マテリアリティが根拠として入りやすくなる。
役割が見えやすくなることで、部門間の責任の押し付け合いも減っていくかもしれません。
重要なのは、ゼロから作り直すことではありません。
すでに積み上げてきたものを、使える状態に近づけていくことです。場合によっては、その方が最初から作り直すよりも、現実的な選択肢になることがあります。
一方で、誤解しやすい点もあります。
「翻訳=粒度を細かくすること」ではない、ということです。
単純に細分化するだけでは、管理する項目が増え、現場の負荷が高まるだけになる可能性があります。
本来問うべきなのは、「どのレイヤーで誰が意思決定するのか」「初年度に扱うのはどこまでか」という設計の問題です。
粒度を細かくすること自体が目的ではありません。
大切なのは、マテリアリティと業務、KPI、意思決定の間に、どのような接続のロジックをつくるかです。
今すぐやり直す必要は、ないかもしれない

マテリアリティがうまく機能していないように見えるとき、特定そのものに問題があるとは限りません。むしろ、その後の接続が十分に設計されていないことが、動きにくさの原因になっている場合もあります。
外部に向けた説明の言語と、内部で動くための実行の言語は、必ずしも同じではありません。
その間をつなぐ作業——翻訳——がなければ、どれだけ丁寧に特定しても、マテリアリティは実務から少し距離のあるものになってしまうかもしれません。
やり直しを考えること自体は、決して悪いことではありません。ただ、その前に一度、問い直してみてもよいのではないでしょうか。今あるマテリアリティは、本当に間違っているのでしょうか。それとも、まだ実務の言語に翻訳されていないだけなのでしょうか。ニューロマジックでは、マテリアリティの翻訳整理、KPI設計、部門間の接続設計など、実行につながるフェーズからご支援しています。
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